道新ぶんぶんクラブ

北海道応援メッセージ − 阿部雅司さん
 挫折から金メダルへ。スキージャンプで得た人生観

2008/01/31

競技人生のきっかけとなった恩師との出会い

阿部雅司さん

●東京美装のスキー部コーチとして、また全日本複合チームのコーチとして日本のスキー競技界を支える阿部さんですが、現役選手のようなエネルギーを感じます。

今年で43歳になるんですけどね(笑)。ふだん若い選手たちに囲まれているからでしょうか。全日本では中学2年生から26歳までの指導に当たっています。

ワールドカップの転戦などで冬は日本にはほとんどいません。国内にいるときも札幌の大倉山のほか、長野県の白馬を練習の拠点にしているので、1年のほぼ半分は家を空けています。

●市民ランナーとしてもご活躍されているそうですね。

マラソンを始めたのは6年前です。チームメートで僕と同い年のワックスマンが走っていたんですが、その彼がベルリンマラソンを3時間20分で完走したと聞いて「オレなら3時間を切れる」と宣言しちゃったんです。

そうはいったものの、フルマラソンデビューは3時間30分台。かなり悔しくて、翌年再び挑戦しました。タイムは2時間59分。フラフラになりながら意地で何とか3時間を切ったわけですが、オリンピックで金メダルを取ったときより達成感がありましたね。今でも毎日、15〜20キロ走っています。自分を追い込むのが好きなんですよ。

●そもそもジャンプを始めたきかっけは?

ジャンプを始めたのは小学3年。地元小平町のアルペン大会に出ていた僕を見て「教えるならコイツだ」と、家にまで来て競技としてのスキージャンプを本格的に始めるよう勧めてくれた先生がいたんです。

高校進学や卒業後の進路も、その先生が尽力してくださったおかげでジャンプの道を選ぶことができました。途中で別の道に進むことも考えたのですが「このまま続けていれば、オリンピックも夢じゃない」という言葉に、半信半疑ながらも支えられたんですね。僕にとっては恩師です。

一生の中でこういう人に会えるか会えないかで、人生は大きく変わると思います。だから僕も「阿部に会えて良かった」といわれるような存在になりたい。そんな気持ちで後進の指導に当たっています。


補欠の悔しさを人生の豊かさに変えて

阿部雅司さん

●80年代から90年代にかけて、全日本チームの主力として活躍されました。

カルガリー、アルベールビル、リレハンメルと3度の冬季オリンピックにノルディック複合で出場させていただきました。

中でも、1992年のアルベールビルでの経験は忘れられません。代表枠4人のうち、開催の1年前から僕の代表入りが決まっていました。残り3人の選手は直前に決定し、僕にはエースとしての期待がかかっていたわけです。

ところが、団体戦の前日になって突然メンバーから外された。こんなことってあるんだろうかと、頭を殴られた気持ちになりました。現地にはすでに家族も後援会の人たちも応援に来てくれているのに、どんな顔を向けたらいいのかと…。

悔し涙があふれましたが、チームの雰囲気を悪くするわけにはいかないので、黙々とワックステストなど裏方に徹しました。

結果的に日本は金メダルを獲得しましたが、とてもじゃないけど素直に喜べる心情ではなかった。嫁さんには引退する話までしていたんです。

その直後です、妊娠したと聞かされたのは。「神様はメダルをくれなかったけれど、子どもを授けてくれた!」そう思うと、生まれてくる子に僕が飛んでる姿を見せたくなり、引退も撤回しました。不思議なもので、それからは競技が楽しくなって調子も上がってきました。

●再び挑戦者として始動したわけですね。

そう。それまではチームリーダーとしての責任感から、試合で勝っても「負けなくって良かった」という気持ちだった。喜びより安堵という感じだったんですね。

挑戦者の志で再スタートしてからは、気楽に新鮮な気持ちで飛べるようになった。スポーツというのは、それほどメンタル面が大きいものなんです。

●2年後のリレハンメルでは、団体戦メンバーに復活し見事金を獲得。

決まったときはうれしかったですね。でも正直、不安で眠れませんでした。当時は金を取って当たり前というムードだったし、銀や銅じゃ許してもらえないだろうと。

そうしたプレッシャーの中での金ですが、何より感動したのはチームメートの荻原健司と河野孝典の気持ちでした。表彰台で金メダルのコールが掛かった瞬間、2人が僕をいきなり抱え上げたんです。

彼らは2年前の僕の悔し涙を知っていた。口には出さなかったけれど、補欠の悔しさを痛いほど理解してくれていた。彼らは、絶対に僕を表彰台の真ん中に立たせるのだという思いで、この試合に臨んでいたんです。あの時、ふてくされた態度を取っていたら、このご褒美はなかったでしょうね。


2年後のバンクーバー五輪に向けて

阿部雅司さん

アルベールビルでの経験のおかげで、人の気持ちがすごく分かるようになりました。「補欠よ、ありがとう」とさえ思います。

あの時は「阿部を外すことで若手に危機感をもたせ、奮闘させよう」という意図があったのだと聞いています。

当時の日本は勢いがあったから、僕が不在でもチームのレベルは維持できるだろうと。競技というのは、それくらいシビアなものなんです。

ただ、強いチームというのは技術力だけでは成り立たない。落ち込んでいる仲間に声を掛けるとか、相手を思いやる気遣いが生まれれば、チーム全体がまとまり、それが結果として表れる。そんなことを理解できたのも、やはりあの時の経験のおかげでしょうね。

●2010年はバンクーバーです。

次のオリンピックでもメダルを取って、日本全体を活気づけたいですね。スキー人気が落ちてきているのを何とかしたいという思いもあります。

北海道の小学校でもスキー授業が少なくなっていますが、「せっかく最高の雪質を誇る北国なのに」と思いますよ。

今後は地方の小学校などにも積極的に出かけて、子どもたちに接したいですね。そして、自分の経験を通して夢を伝えることができたらと思います。

あべ・まさし/1965年生まれ 留萌管内小平町出身

阿部雅司さん

小学3年でスキージャンプを始め、東海大四高校卒業後、東京美装興業に入社。88年カルガリー、92年アルベールビル冬季オリンピックに出場し、94年のリレハンメルではノルディック複合団体で金メダルを獲得。ワールドカップ個人戦では2位が最高。95年に引退してからは東京美装興業スキー部コーチ、全日本複合チームコーチを務める。プライベートでは市民ランナーとしてフルマラソンにも出場。日本スポーツ賞オリンピック特別賞、北海道栄誉賞など受賞。

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