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【2018/11/19】

領土問題に通じる占守島の戦い

先週15日に根室で講演を行った。
かつて北海道新聞根室支局員であった私にとって根室は「第二のふるさと」であり、会場には数多くの友人や知人が来場してくださった。

講演の演題は「占守島の戦いから北方領土占領まで~千島列島1945年夏」とした。
終戦直後に北千島・占守島に突如上陸したソ連軍と日本軍守備隊の激戦、さらにソ連軍による千島列島占領作戦と現在の北方領土問題との関連についてだった。
昨年7月に刊行された私が執筆したノンフィクション「一九四五 占守島の真実-少年戦車兵が見た最後の戦場」(PHP出版)を題材にしたものだ。

偶然、講演会前日の日ロ首脳会談によって北方領土の色丹・歯舞の2島返還に向けての動きがクローズアップされたこともあり、会場には石垣雅敏市長や大内隆寛根室振興局長らも参加し、私の話に耳を傾けてくれた。
亡き父親が占守島での戦闘に加わり、後にシベリアに抑留されたという釧路の方もいた。

千島列島北東端の占守島は終戦までソ連との国境に面し、上陸してきたソ連軍と日本軍は激しい戦火を交えて、死傷者は戦闘が始まった18日からわずか4日間で両軍合わせて3千人を超えた。
太平洋戦争は、「終戦」の8月15日以降も千島と樺太では続いていたのである。

占守島で戦闘が始まる直前、ソ連の独裁者スターリンは、北海道の釧路と留萌を結んだ線以北の分割占領を米国に要求。
しかし、米国大統領トルーマンの拒否と日本軍の抵抗によって、北海道の占領を諦めて、南樺太(サハリン南部)を占領した兵力を当時の南千島(現北方領土)の占領に差し向けたのである。
終戦後の千島の戦いは8月18日の占守島から始まり、9月5日の歯舞群島占領で終わる。
この点で占守島の戦いは北方領土問題にも通じているのだ。

占守島の戦い以降の2週間余は、北海道と日本の歴史が変わっても不思議でない微妙な時期だったとも話した。

翌日朝、根室のメインストリートを歩いた。
商店街はシャッターを下ろした店が多く、非常に悲しかった。
支局員時代のなじみの店も閉店していた。
終戦から73年、動かない北方領土問題によって、根室は東への窓が閉ざされて、疲弊してきたのである。
日ロ両国の領土交渉が前進すれば、根室に活気が戻るに違いない。
講演会を終えて切に交渉の進展を願った。

2018・11・19(相)

(写真上)占守島の戦いと北方領土問題をテーマにした根室での講演会
(写真下)根室での講演会のチラシ