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夏目漱石は漢詩文が好き 国学院大・石川教授が講演

「漱石文学の夢 ―漢詩文と『草枕』―」をテーマにした道新ぶんぶんクラブ教養講座「いにしえの日本を探る」が11月10日(土)午後1時30分~3時、道新本社2階会議室で開かれました。講師は国学院大学の石川則夫教授。雨で足元の悪い中、112人の参加がありました。

夏目金之助(のちの漱石)は名字帯刀を許された町方名主の家に末っ子として生まれましたが、2歳で塩原家に養子に出されます。しかし養父のいざこざが原因で、牛込馬場下の実家と浅草の養父家を行ったり来たりします。下町と山の手の町民風俗が混在したまま成長していった金之助は、武士の教養である漢詩文も身につけていました。

東大の同級生である正岡子規の影響を受け、ともに漢詩文集「木屑録」を発行。英文学専攻でロンドンに留学もしましたが、あま り英語が通じず、のちの「文学論」の礎となる研究に没頭していました。帰国後は高浜虚子の勧めにより「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を発表。関心は研究から創作に移っていきました。

明治40年に朝日新聞に入社し、小説家としての漱石の歴史が始まります。「虞美人草」「三四郎」「それから」など有名な作品を次々と連載しましたが、漱石の小説家人生はたったの10年。日常の事柄を写生のようにありのままに書こうとする写生文から、人生に対して余裕を持って望み、高踏的な見方で物事をとらえるという余裕派まで、こんなに文章の変わる作家はいないそうです。努力と天分があったと思われます。

新聞小説は「明日も買って読みたい」と思わせるサスペンスが必要。関心を宙吊りにし、「明日はどうなる」という期待感を持たせなくてはなりません。好きな英文学者はスチーブンソンやメルディス、スウィフトということから、大人も子どもも楽しめる娯楽作品を好んでいたようで、新聞小説には書けないような作品を書きたかったのではないかと石川教授は話しました。

朝日新聞入社前に書いた「草枕」には漢詩文が書かれており、中国文学者の吉川幸次郎は著書「漱石詩注」の中で、漱石の漢詩を絶賛しています。「草枕」で漱石は、東洋の詩歌は人事から解脱し、暑苦しい世の中を忘れたような光景が出てくると評し、その様子を五言古詩で表現しています。ここからも漱石が漢詩文を好んでいたことが分かります。

(写真上)石川則夫国学院大学教授
(写真下)たくさんの参加者の熱気に包まれた会場