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青函連絡船に思いはせる 函館でぶんぶんステーション講座

道新函館支社で10月28日、ぶんぶんステーション講座「元道新記者が見た青函連絡船」が開かれました。講演者の原田伸一さんは函館出身の元道新記者で、今年9月に北海道新聞出版センターから「海峡の鉄路 青函連絡船 110年の軌跡と記憶」を刊行しました。今回はぶんぶんクラブの相原秀起事務局長との対談で、一世紀以上にわたり、北海道を支えた青函連絡船の歴史や秘話を語りました。

原田さんは父親が国鉄職員で、自らも学生時代から道南を中心に鉄道写真を撮り続けた鉄道愛好者です。会場には、連絡船の元乗組員や遺族などを含め、ぶんぶんクラブの会員約50人が来場し、原田さんの話に耳を傾けました。

原田さんは祖父が1920年代にガラス乾板に撮影した連絡船や学生時代に自身が撮影した数多くの写真や当時の記事をスクリーンに投影しました。

連絡船史上最大の惨事となった1954年(昭和29年)9月の洞爺丸事故では、道新函館支社のカメラマン2人が撮影した写真が海外にも配信され、世界的な大惨事と認知されたことを当時の現場写真を見せながら解説しました。

洞爺丸事故では、青森県でも数多くの犠牲者が出ており、県内の小規模小学校の教諭5人が犠牲になったことを報じた県紙東奥日報の記事を見つけ、青森を訪問して5人を知る元教諭に会ったエピソードとともに、「当時の詳しい話を聞くことができた。生き証人に会えたのは幸運だった」と振り返りました。

1964年に函館ドック(現函館どつく)で建造された津軽丸型連絡船「松前丸」の進水式では、道新カメラマンが撮影した見物客の中に原田さんとみられるカメラを持った少年が写っていることや、当時の記事から岩見沢市内の小学生がくす球の紙ふぶきを寄贈したことも紹介しました。

このほか、通常は函館-青森間を3時間50分で結んでいた連絡船が、接続列車の遅れを取り戻すために定刻より30分も速く運航したケースがあることや、出港時に船内に流れていた「蛍の光」は、戦前に一人の音楽好きの事務係が何気なく「蛍の光」のレコードを流したところ、乗客たちが次々に泣きだしてしまったことがきっかけとなり、出港時の定番となったとのことです。

旅行で青函連絡船をよく利用していたという函館市在住の高校非常勤講師、丸山健一さんは「写真は懐かしくて、話を聞いて連絡船の思い出がよみがえりました」と喜んでいました。